創業125年のピーターパンの歴史
創業 明治32年3月10日
1899年。今年で125周年となります。
創業者 初代 廣川市松
明治32年3月、日清戦争と日露戦争の真中
江戸時代から続く城下町福山に’’廣川日進堂’’ を創業
勤勉で誠実な人柄であったと伝えられているが、
当時を知るすべての資料が昭和20年の福山空襲で焼失。
ピーターパン(広川日進堂)は、創業当時からパンを作っており、現在(2024年時点)で日本で9番目、西日本では一番古いパン屋さんであるとのことです。
≪引用≫
老舗食堂さん
https://note.com/shinisetv/n/nf590dc865395#aa4a9547-d429-4f5a-909a-eba6b7a8b17b
教えていただきありがとうございます!
写真はJR福山駅新幹線のホームから眺めた福山城。
同じく福山空襲で全焼し再建された今も、福山市のシンボルとして市民から愛されている。
2代目 廣川享一郎
明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜き、その間3度の戦争を経験。
辛酸をなめながら同業者の世話を行い、堅実に製パン業界の発展に尽力した。
特に昭和20年の福山空襲ではレンガ窯の一部を除きすべて瓦礫と化したが、いち早く工場と住居を再建し、焼け出された親族や社員に住居を提供、食糧難の時代に必死でパンを作り続けた。
- 戦争後に建てられた広川パンの工場。
3代目 廣川博重
世界大戦後、焼け野原となった福山のがれきの中に会社を再建。
青年期、当時の若者のあこがれであった軍人を志願。陸軍に2等兵で入隊後、消灯後も便所の灯りで勉強して幹部候補生に合格。終戦時は少佐となっていた。
復員後は家業の廣川日進堂の事業に邁進。ほかに先駆けて積極的な経営を行い、地元有数のパンメーカーに育て上げた。
若くして、広島県東部パン組合の理事長となり、学校給食事業や同業者の世話にも力を尽くした。福山ロータリークラブの会長として、社会奉仕にも積極的に取り組んだ。
4代目 廣川徹
東大卒のパン屋さんという異色の経歴。
会社名及びブランド名を’’ピーターパン’’に変更、
’’株式会社ピーターパン’’の設立。
独自の商品・流通を理念に商品開発に努る。
広島大学附属福山中高等学校から、東京大学経済学部経営学科に進学。
一度は日本鋼管株式会社(現JFE)京浜製鉄所に入社したが、自社(廣川日進堂)からの要請を受け広島県福山市に帰る。
廣川日進堂を継承、企画部長として独自の商品開発を始める。
平成8年より代表取締役社長となる。3代目博重の想いを尊重し、「独自の商品と流通」を経営理念の中核にすえ、国産小麦のパン、米粉パンや糖質制限パンなどを開発する。
一方流通面では、無線活用による残業パンシステム、自動販売機でのパン販売、移動販売車、東京での見本市出展や関東圏への販売、海外での見本市出展や販売など新しい試みを続けている。2017年広島県東部パン組合理事長を務める。
4代目 独自の商品づくりを開始する
●1980年代に、思い切って保存料の添加をやめ、国産小麦や天然酵母のパンを作り始める。
「赤ワインロール」「りんご酵母のフランスパン」「こんにゃく入りダイエット食パン プルルンカット」「羊羹ロール」「海洋深層水利用の食パン、豊」など、様々な商品を日々開発し続けています。
「チョコ好きの、チョコ好きによる、チョコ好きのためのチョコボール」「牛乳パン」などは学生さんから大人まで幅広く愛され、ロングセラーとなっています。
●時間外労働が多く発生する企業さんを支援する「残業パン」システム構築。
本社にアンテナをたて、市内工業地帯を走り回る配達トラック全車に簡易無線システムを搭載。注文が入るたびに、一番近くにいるドライバーがお届けに伺います。当時は携帯電話が普及していなかったため、大変画期的なシステムでした。
「残業パン」販売は、現在も行っております。
●移動パン販売車を稼働。
●毎朝焼き立てパンを宅配する「ティンカーベルクラブ」を発足
●日本の食料自給率を上げるため、先駆けて米粉パンに挑戦。2002年に「国産米粉の米太郎食パン」を発売。保存料不使用なのに特殊な包装技術で常温で長期保存可能!というスタイルも確立。
発端は2001年、製粉技術の進歩で可能になった米粉パンをいちはやく研究し2002年「米太郎食パン」を発売しました。多くの米粉パンは、膨らみにくさを補うため、いろんな増粘材や副材料を入れておりました。当社では研究の上、余分な材料を取り除きました。パン本来の材料だけで米粉パンを。Simple is BEST!!!
その開発の間には、余りに固い米粉の生地で、直径10cmを超える太いミキサーの芯棒が折れたり、まったく膨らまないパンになったり、苦労の連続でした。1年以上の試行錯誤の末、やっと今のもちもちおいしい「米太郎食パン」ができた時には本当にうれしかったものです。
●2003年 移動車販売のメロンパン
スーパーやイベントなどいたるところで移動販売車によるメロンパンブームが巻き起こる。
移動販売車用のメロンパン冷凍生地レシピを開発し、協力工場を合わせて全国の3割を生産。 当社の製造のみならず、各地の工場を指導し、北海道から沖縄まで出回りました。
全国商品の品質維持を図るため、メロンパングループへの技術指導DVDを作成配布し、パンの基礎知識から発酵、上生地の特性まで、約一時間かけて説明するDVDを、社長自らの出演で制作し全国に配布しました。(2004年9月)
●健康をテーマに様々な国産小麦の食パンを開発。このころから、国産米粉の米太郎食パンと合わせて保存料無添加なのに長期保存可能なピーターパンのパンシリーズを「ベーキングヘルシーロングライフ健康パン」としてシリーズ展開をはじめる。
2006年、「米太郎・緑黄9・GABA・玄米・よもぎ」の5種類を一挙発売。市役所記者クラブにおいて、記者会見を行いました。米粉パンだけでなく国産小麦パンの持つどっしりもっちりした食感や深い味わいは多くのファンを魅了しました。
GABA食パンの開発にあたっては、広島大学大学院の教授と共同で研究開発を進めました。
翌年2007年「竹炭デニッシュ食パン」「五穀食パン」を開発。
●2509件の応募の中から農水省フードアクションニッポンアワード2010 優秀賞を受賞
全国より2509件の応募の中、三洋電機やニッポンハム、ハウス食品などの大手企業に混じってプロダクト部門優秀賞をいただきました。中四国地方では当社のみ受賞しました。2010年2月1日、東京有楽町東京フォーラムの会場にて表彰されました。優秀賞のロゴマークは受賞企業だけが使えるマークです。
●その後もオリジナル商品を次々に発売。
●2012年頃ごろから国外での米粉パンの可能性を探りはじめる。
【出展履歴】
現地フェアに参加、販売いたしました。
2012年中国上海
韓国ソウル
2014年中国香港
2015年マレーシアクアラルンプール
●2015年 糖質制限パンを開発。
●2016年 災害時の食糧供給について、福山市に協力。
福山市の災害時応援協定にあわせて、法人代表として羽田市長(当時)から協定書をいただきました。災害時には、ピーターパンのパンを非常食として被災地に迅速にお届けします。福山市の一員として地域貢献していきます。